多くの事件を手がけ、様々な当事者と関わった経験をもとに、ご依頼者様を法律面だけでなく、精神面からも支えるよう努めます。弁護士 片岡 信恒

所長 愛知県弁護士会所属 登録年(昭和52年)

経歴

1973年 司法試験合格
1975年 名古屋大学大学院卒(会社法専攻)
1977年 弁護士登録・開業
1980年 片岡法律事務所開設

役職歴

日弁連国際交流委員会委員
日弁連外国法事務登録審査会委員
愛知県弁護士会元監事
愛知県弁護士会国際特別委員会元副委員長
名古屋港管理組合入札監視委員会委員
名古屋港管理組合情報公開審査会委員
名古屋港管理組合個人情報保護審議会委員長
名古屋簡易裁判所調停委員
名古屋家庭裁判所一宮支部元調停委員
住友生命保険相互会社総代
中部日中経済交流会副会長
名古屋日中弁護士交流会元会長

講演実績

●ビジネスに活かす法律入門講座【名古屋商工会議所】
●個人情報保護法【中小企業診断士協会愛知県支部】
●企業に求められる倫理およびコンプライアンスについて【経営精錬塾】
●中国は法治国家か【愛知県中小企業家同友会】
●中国のリーガルリスク【チャイナボックス】

私の履歴書
自宅の銘木店の前で、母親と私は昭和25年岐阜県大垣市というところで生まれ育ちました。

家業は銘木店(らんま、床柱、丸窓等の建築室内材を扱っていました)でしたが、私は、教師をしていた母の影響で商売が嫌いで、家業を継ぐつもりは全くありませんでした。もし跡を継いでいたら多分倒産を経験することとなっていたと思います。

子供の頃から身体が大きく、クラスでも1,2番目の背の高さで、スポーツも好きでした。小学校の時は、少年野球でピッチャーをして4番を打っていました。

国体の聖火リレー中学校は自宅近くの公立中学校へ通い、軟式テニスクラブで練習に明け暮れしていました。地区大会で、団体戦、個人戦とも準優勝したことがあります。

また国体で聖火リレーに参加したことも良い思い出です。

その後、県立大垣北高校に進学。
高校の周りは田んぼが多く、田植えシーズンには蛙の合唱が聞こえるのどかな環境にありました。



高校時代の小旅行先大学入試ではとても苦労しました。
当時学生運動の最盛期で、昭和43年12月には東京大学の入試が中止されるという事態に巡り合わせました。志望校を変更して、名古屋大学法学部に進学することになりました。  

親戚や身の回りには、弁護士などの法曹界関係者もなく、当時司法試験というものがあることすら知りませんでしたが、高校時代から司法試験を目標として同級生に影響を受け、司法試験を一年生の時から受験しようと思い始めました。

四年生の5月初めて司法試験の第1次試験を受けてあえなく不合格。その後必死に受験勉強をして翌年合格しました。



岐阜地裁での修習での研修旅行司法研修所へは昭和50年に入りましたが、年齢層はばらばらで、全国各地から集まっており色々な刺激を受けました。同期の繋がりはその後もずっと続いており、連帯感があり交流は今も継続しています。

昭和52年4月、名古屋市中区錦3丁目にある内藤法律事務所へ勤務弁護士として就職しまた。

所長は元検事で、文章に対して厳しく、私が起案した原稿は原形を留めないほど直され、文章力は鍛えられました。

また、刑事事件も多く、贈収賄事件、公職選挙法違反事件等の否認事件で、有罪になる壺を学びました。起訴前の弁護活動で不起訴に持ち込んだ事件も、何件か経験させていただきました。



昭和54年民団の顧問弁護士グループで韓国へ昭和55年4月、名古屋市中区三の丸で独立開業しましたが、後先考えず何とかなるだろうと思っていました。

当時は、消費者金融から借入した多重債務者の債務整理(当時は貸金業規制法がなく、今とは比較できないほどやっかいでした。)、在日韓国人組織『愛知県韓国居留民団』の仕事をよくしていました。

事務所は堀川沿いに立地し、新築ビルではありましたが、今と違って機密性もなく冬が寒かったことが記憶に残っています。セキュリティーは全くなく、私が出た後に、同じビルに入っていた法律事務所が2回盗難に遭ったそうです。



平成元年に事務所移転した直後昭和63年4月、現在の場所へ移転しました。
気持ちの中では勢いがあり、市内中心部へ進出する気分でした。と言っても、当初借りた部屋は17坪で、弁護士は私だけ、事務員はやっと2名に増員したところでした。

当時はバブルのまっただ中で、保証金、家賃等もかなり高く、建築中に全室の入室者が決まるほどでした。 
年が明けると平成元年となり、バブルの影響で不動産の価格は右肩上がりで、誰もが永遠に値上がりが続くとの錯覚をしていました。

その頃は、土地建物の明け渡しの仕事が増えました。
今は懐かしい『地上げ屋』の顧問をしたこともあり、その用心棒をしていた暴力団関係者の弁護を引き受けざるを得なかったこともありました。その地上げ屋の社長も多額の借金を抱えて行方をくらまし、故郷の熊本へ戻り、パチンコをしている時に急死したと聞きました。



昭和54年民団の顧問弁護士グループで韓国へ平成8年頃から事務所は徐々に拡大し、勤務弁護士が加わり、事務員は2名、アルバイト1名で、事務室は2室、約27坪となりました。

平成16年にさらに弁護士が増え、平成19年他の事務所で勤務していた長男が加わり、現在に至っています。

事務局は4人で、1名は中国の司法試験を合格した中国人の方がいて、中国関係の相談でサポートしてもらっています。

1992年初めて中国へ。北京の人民大会堂常務委員会当事務所の取扱事件は、民事・商事事件が中心ですが、ちょくちょく刑事事件も取り扱っています。

又、企業法務には強い関心を持っています。
ここ、2,3年は労働事件が急増し、社会保険労務士事務所とも定期的な勉強会をしています。

中国・韓国関係の法律問題も手がけ、愛知県韓国居留民団との関わりも30年余りになります。

中国に関しては、中部日中経済交流会の副会長を務め、名古屋の中国総領事館との交流もさせていただいています。


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